第3回放送 「ひきこもり」

第3回放送、テーマは「ひきこもり」です。
いよいよゴールデンウィークも終わり、日常生活がはじまろうとするこの日本社会、ひきこもりにはあまりそういうことは関係なかったりします。

今回注目すべきは、放送後半残り3分で山本さんがいきなり声変わりしているところです。
収録中には僕はまったく気付きませんでしたが、おそらく、いくつもネットラジオを掛け持ちしているネットラジオ界のスーパーメディアクリエイター山本さんですので、喋りすぎて喉をやられたのでしょう。 

選挙のこと補足

 このサイトは基本的にネットラジオのサイトですが、ちょくちょく文章でも更新していきます。
 なお、ラジオの記事に付属しているものも含め、文章はすべてさくら剛(ひきこもりの方、または人生が充実していない方)が書いています。なにか悪い知らせなどがあるときは、ひょっとしたら山本さんが記名でなんらかのお知らせを書くときが来るかもしれません。それはきっとさくら剛が刑務所に入ったとき……。

 ところでまだしばらくは、文章の記事ではサイトの概要や方針や協力者さまの情報や姉妹サイトのことについて説明文を書いていこうと考えていましたが、今回は急遽その前に補足したい内容があります。
 それは第1回放送で話しました、選挙とはなんら関係のない「学年委員長の件」です。

 いったい何事かといいますと、浜松市立積志中学の3年生当時、3年7組を担当していたメガネの村松先生という人がいました。
 彼は社会科の担当で、当時30代だったと思います。授業の進行スピードが圧倒的に遅い先生で、受験生から見たら必用の無い社会の雑知識および歴史の脇道エピソードにすぐに脱線して時間を使い、近隣の学習塾からも「そんな授業の進め方では受験に間に合わないからちゃんと教科書どおり教えろ!」と学校にクレームの電話が入るくらいでした。
 でも村松先生はそんなのお構いなしのマイペースな上に、授業中はなにかと生徒たちを対象にあだ名をつけたりおちょくったりねちねちとイビり、おまけに字がヘタなため、黒板に何を書いているかまったくわからない! 板書がし辛いったらありゃしない!! ということで、なかなかの勢いで生徒から嫌われていました。

 そこで、第1回放送の内容なのですが、僕が学年委員長(各クラスの学級委員の中のさらに委員長。ただし人望があるからではなく半分イジメで決められたのです:詳しくは放送参照)になった際に文化祭の出し物が決められず、ある日の休み時間に廊下で3年生の担任全員に囲まれた話をしました。
 怖い先生方が右から左から、時には詰問し、時には怒鳴って、今でも覚えているのは3組担当のN沢先生という凶暴なおじさん先生の「早く決めろよ早く!」という野太い怒鳴り声です。
 そんな中学校界でまれに見る残酷な責め苦にあえぎ、ぷるぷると震えていた僕が結局その危機をどのように脱したかというと、そのときに僕を救ってくれたのが誰あろう村松先生だったのです。

 村松先生も3年生の担任の1人であり、最初はしばらく僕が責められる姿、他の先生方が僕を責める姿をじっと眺めていました。
 しかしいよいよさくら剛@中学生が泣きそうになったそのとき、ここぞとばかり声を上げてくれたのが先生だったのです。
 村松先生は、他の教師たちに向かってこう言いました。

「悪いのはこいつだけじゃないだろ。決まらないのは学級委員全員の責任だ。責めるんなら、まず自分らのクラスの委員を責めるべきだ。こいつ1人に言うのはおかしい」

 そして、村松先生は僕に向かって、「もうおまえはいいから、教室に戻れ」と言ってくれたのです。他の先生がどう思っていたか知りませんが、その言葉を救いに僕はピューと教室に逃げ帰りました。
 おかげで僕はなんとか命までは取られずに済んだわけですが、村松先生が他の教師から反感を買うこともいとわずに自分を助けてくれたんだということは、中学生の愚かな僕には噛み締める余裕がそのときには無かったのです。ただ「ああ怖かった……」としか。

 しかし今になって思えば、あの中学校にいた先生の中で、本当の先生と呼べる人が村松先生だったのです(他の学年にもいたかもしれませんが)。
 僕のクラスの担任ですら他の先生方と一緒になって僕を囲んで責めていたあの状況で、僕は1組で村松先生は7組、当時クラスは全部で7組しかなかったわけですから、最も遠いクラスのいち生徒を同僚教師を敵に回すことすらいとわず助けてくれたというあの村松先生の姿、今思い出してみると、自分もあのときの村松先生に恥じることのない本物の教師にならなければなと、心から思います。

 と思ったら、そういえば僕の職業は教師ではありませんでした。
 でも今学校の先生をしている人たち、これから先生になろうという人たち、そんな人にはぜひとも村松先生のような先生になって欲しい。いや、先生とかそういうことじゃなく、職業以前に、自分も1人の大人として、社会人として、あのときの村松先生のような公明正大な人間にならなきゃいけないと思うわけです。
 あれから20年経つとわかります。
 字がヘタだったのは紛れもない事実ですが、塾からクレームを受けることになったスローペースで脱線しまくりの授業も、村松先生はしっかり歴史というものを記号ではなく人の営みとして生徒に教えようとしていたのです。
 先生の口癖は、「社会は暗記科目じゃねえんだ。歴史は数学と同じだ!」というものでした。今になってみればよくわかります。ただ人の名前を覚えりゃいいってもんじゃない。歴史だって原因があって法則があって答えが導き出されるのだ。歴史というのは人や乱や年号ではなく、流れなのだと。

 とはいえあれから20年経ってようやくそう思う僕なわけですが、中学生当時でもわかっている生徒はちゃんとわかっていて、一部のできる生徒たちからはなにげに村松先生は限定で人気があったような気がします。頭のいい人間というのはどの世代でもどこの学校にもどこのクラスにも一定の割合でいるもので、そういえばその少数の中では村松先生は人気の先生でした。違いのわかる男は中学生にもいたのです。違いのわかる女もいました。しかし学年委員長にまでなっておきながら僕にはまったく違いがわかりませんでした。バカでした。お恥ずかしい。今もバカですけど。

 とにかくそんな村松先生の話が、早いうちに書いておかなければと思った第1回放送の補足でした。