1月7日

 思えば前回文章の記事を更新した時は、まだ年末でした。
 そして今回は、すでに正月も過ぎて1月の7日。その間に、いったい何をしたでしょうか? 何か意味のあることをしたでしょうか?
 年末から年が明けて正月が終わり2012年の日常が始まりました。このあいだ、無駄に時を過ごしてはいないでしょうか? ……でもね、人生に、無駄な時間なんてないんだよ。無駄なことなんてないんだよ。キミに起こることは、すべて意味のあることなんだよ。神様は、乗り越えられる人にしか試練を与えないんだよ。
 そう言ってみると、いろいろな災害で不条理な苦しみを味わっている人や、飲酒運転の事故や凶悪な犯罪に巻き込まれた罪もない人も、意味があってその被害を受けていることになりますね。ある日いきなり強盗や通り魔に殺されてしまった人も、その人にとってそれは意味のある出来事だったんでしょうか。乗り越えられる試練だったのでしょうか?
 その人自身になんの落ち度もないのに、その苦しみは意味のあることなんだよと言われるのはその人にとっては到底納得がいかないし、許せないことだと思います。だから、軽はずみな発言はするべきではない! キミに起こることは、すべて意味のあることなんだよ、人生に無駄なことなんてないんだよ、というのは無責任でなにも考えていないバカげた発言です。軽々しく言わない方がいいですね。
 今の生活のどこが無駄なのかしっかり考えて、無駄なことは排除してどうしたらもっと毎日が楽しくなるか、自分が成長できるのか、考えながら生きる方が自分のためです。無駄な仕事なんていくらでもあります。存在自体が無駄な会社もいくらでもあります。オレオレ詐欺のオフィス、意味がありますか? おじいさんやおばあさんを騙して金をむしり取ることは、意味のある行動でしょうか? 年金で細々と暮らしている時にオレオレ詐欺の被害にあって金をむしり取られることは、おじいさんやおばあさんにとって神様が与えた越えるべき試練なのでしょうか?
 無駄なことなんてないんだと考えた時点で、それは単なるあきらめです。自分で現状を変える勇気や力がないから、自分に起きていることは意味のあることなんだよと自分で自分の傷をなめるのです。必要なのは、諦めや言い訳ではなく、前に進む勇気、自分を変える行動力ではないでしょうか。と、そんなことを年の初めでもありますし力強く書いてみました。一方僕自身は年末年始も祝日も春夏秋冬もたいして関係のない仕事なので、今年はこうするぞみたいな心意気もあまりなかったりするんですけど。しかしなにも考えていないように見えても、僕は心の奥底では上で述べたような熱い志をもっておるのです。そのこころざしを持ちながら、正月はビッグダディの特番を見ました。
 あのビッグダディ特番は、2日の昼間にやっていた総集編を見ると、なんだこの夫婦は、ろくでもないやつらだな、子供がかわいそうすぎる! と思ったのですが、4日の放送を見るとこれがあら不思議、なんだかんだいってビッグなお父さんだし、いい家族じゃないか! と考えが改まってしまったのです。ただ母親の言葉遣いは子供のためにもなんとかした方がいいと思います。お母さん若いしかわいいですけどね。でも、夫婦げんかで年上の旦那さんに「てめぇ」とか言ってしまう女性が良い母親だとはなかなか言い切れない部分もあると思います。
 そんで、正月にデパートの福袋に殺到するおばちゃんたちの映像がニュースで何度も流れていましたが、あれ、日本の恥だからテレビで流すのやめませんか? ボロは着てても心は錦というのが日本人が持つべき心のありかただと思います。欲望丸出しで福袋に駆け寄って奪い合う醜い人たちが自分と同じ日本人だと思うと恥ずかしくてたまりません。気持ち悪いです。