一个日本宅男・佐久良刚

 一个日本宅男の佐久良刚といえば誰のことでしょう?
 そう、佐久良さんのことです。有名なサクリョウさんですね。
 つまり、こういうことです。一个日本宅男の佐久良刚による、三国志遺跡を巡り中国を放浪した旅行記「三国志男」が、本土中国で発売されたということです。
 そういえば放送内で言いましたねこれ。放送内で言ったとなれば今さらなにも驚くことはないですね。

 概要をご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、こちらの中国版amazonページをどうぞ。言葉が理解できませんけど。
 amazonページをよく見てみると日本の本がすごくたくさん翻訳出版されておりますので、今さら中国でサクリョウさんの本が出るということは取り立てて驚くことではないようですが、僕が個人的に驚いたのはたかぎなおこさんのコミックエッセイが中国でバカ売れしているということです。
 日本では全部ひらがなのたかぎなおこさん。中国では漢字で高木直子さんとなっていますが、まあそもそも日本でも有名作家さんですし売れること自体は当然だとは思います。ただしかし、高木直子さんの「一个人的美食之旅」なんていうシリーズがまた中国でバカ売れしており、100万部以上売れている模様。帯に書いてあります。
 他にも高木さんは10種類くらいの著作が帯に「100万冊突破!」と書かれていて、シャレにならないくらい多くの中国の人たちが読んでいるのがわかりますがなにしろ特に「一个人的美食之旅」。
 この本は、オリジナルのタイトルが「愛しのローカルごはん旅」というもので、日本の地方のグルメを紹介するものなのです。中国で、日本のローカルごはんを紹介した本が100万部売れているっていうのは驚きじゃないですか?
 100万部というのは、世の中の文章が一定以上上手で運が良い人たちが集まった作家の世界でさらに神のご加護があってミラクルを発生させ、メディアに大注目された奇跡の人しか達成できない数字です。たとえば逆に、日本で中国のローカルフードを特集したコミックエッセイを発売して、何万部も売れるでしょうか? いや、売れません。断言できます。売れません。中国のローカルフードを特集した本は、日本では1万部売れてもまぐれではないでしょうか。まず黒字を出せそうな予感がしません。それが、中国の人たちは日本のローカルフードの本を100万人以上も買っている……。

 中国は人口が日本の10倍なので本の部数も10倍は売れるのが当たり前ではないか、という考えが頭をよぎるかもしれませんが、そんな考えを頭によぎらせてはいけません。
 これは僕の経験と予測なので正しくはないかもしれないですが、僕の意見としては、中国の人たちの中で趣味で本を買うような人の割合は、日本の10分の1くらいじゃないだろうかという感覚があるのです。日本では、だいたい物心つけば全員が本を読むということをするじゃないですか。自分で本屋にも行くでしょう。しかし、中国の特に地方では、娯楽で本屋に行って本を買ってきて読んだりしている場合ではない水準の暮らしを送っている人がかなりたくさんいたように感じるのです。地方というのは都会じゃないところなので、中国全土の大半が地方ですね。あくまで個人的な意見ですし。ここ数年はまた変わっているのかもしれませんが。
 でもそう考えると本を買う可能性がある人の数は日本とたいして変わらないですし、そうすると100万部売る難しさも日本と中国で差が無いのではないかと思ってしまうのですが、それで日本のローカルごはん旅を中国でバカ売りしてしまうというのは、たかぎさんもすごいですし翻訳と営業をしている中国の出版社もすごいと思いますし、日本のことが嫌いだったら日本のグルメ本なんて買わないですよね? 中国で本を買うような人たちは、全然日本のことが嫌いではないのではないでしょうか?
 それはその通りだと思います。反日で騒いでいる人たち、デモに参加するような人たちは、普段の生活が苦しいという不満をどこかにぶつけたくて暴れているだけで、たしかに感情的なはけ口として日本に八つ当たっているなら感情的にも日本のことは嫌いなんでしょうけど、しかしそれは本質的な反日ではなく、都市部で一定レベル以上、どちらかというと富裕層に近いような水準の生活を送っている人々はデモなんて参加しないし反日にも別に興味が無いよ、ということを最近見たニュース番組の特集で現地中国人の方が自ら話していました。スタジオゲストのトラブル孫悟空こと周さんもそう言っていました。
 僕の三国志男も中国のtwitterのような位置づけ「微博」で話題になったらしく、光栄なことになかなかの売れ行きを誇っています。微博で話題になっているというのは中国人読者の方がわざわざメールをくださって教えてくれたことで、もし中国の若者がみんな日本のことを嫌いだったら、日本人の書いた本のことをtwitterで話題にするでしょうか? 日本人でも、反韓感情がものすごく強くて韓流スターや韓流ドラマをひたすら敵視する人たちがいるじゃないですか。そういう人は、韓国人が書いた本をtwitterなんかで良い意味で話題に出すことは無いと思うのです。
 結論としては、中国で反日反日と騒いでいる人たちは貧困層および人生や生活にものすごく不満のある一部の人たちで、まともな人は政治と文化をごっちゃにして日本のものはなにもかも嫌いなんて言うような愚かなことはしないようです、ということです。日本で反韓を叫び韓流ドラマをはじめ韓国のものとくればなにもかも毛嫌いして、たとえば「チョン」なんていう言葉を出して他国を攻撃する人がやはり貧困層もしくは友達がいなかったり人生に満足できない自信のない人たちであるというのと同じだと思います。本質的に嫌いというより、はけ口という意味合いがあるはずです。あくまで僕の個人的な意見ですが。なぜか反中ではなく反韓のことを例に出しましたが、中国のドラマや本やスターが日本に入ってくることがあまりないので、とりあえず韓国の話を出してみました。終わります。実はサクリョウというのは僕のことです。

レフェリー

 レフェリーというのは公正であるべきですね。
 オリンピックという大舞台でも、審判の買収・不正が行われていたように思います。ボクシングの清水選手の試合です。相手の選手がフラフラで何度もダウンしていたにもかかわらず、レフェリーがダウンではなくスリップだとし、最終的な判定でも相手選手の勝利にしてしまったけれど後から日本側が抗議をして覆ったという内容でした。あれは誤審というレベルではなくレフェリングの八百長で、実際にレフェリーもオリンピックから追放されたという記事もあり、金銭授受の疑惑の記事もあり、まあ不正ですね不正。参考記事

 格闘技は素早く正確なレフェリングをしなければ選手の体が危険に晒されますので、他のスポーツと比べても負けず劣らずレフェリーの質が大事になると思われます。僕は角田信朗という選手には、割と良い印象を持っていました。その昔、20年近く前に前田日明のリングスという団体に正道会館の選手として参戦しており、試合には負けることが多かったですが小柄な体でトレーニングを積んで熱く燃えて一生懸命戦っていてナイスファイトだなあ、と思っていました。バラエティ番組なんかに出ても熱血で感じが良いですよね。
 その角田さんは、K-1の試合でレフェリーもしていました。ところが彼のレフェリングには、問題が散見されるようです。
角田レフェリーについてのウィキペディア

 やっていることはロンドンオリンピックの追放レフェリーと同じ……。
 K-1はヘッドギアもつけていないため、危険度がオリンピックのボクシングとは比べものになりません。
 なぜこんなことになってしまうかというと、視聴率を上げなければいけないからではないでしょうか。ボブ・サップVS曙という試合が、何年か前の大晦日にあったと思います。その時のレフェリーも角田審判でした。1Rで曙がKOされ、そのシーンはほとんどの人は1度は見たことがあるのではないかと思います。完全な失神状態ですね。動画
 本来、これはダウンした瞬間に試合を止めるべきなのです。誰が見てももう倒れた瞬間に曙は立てないのがわかる。もしこれがプロボクシングの試合だったらそうなっていたでしょう。しかし大晦日の地上波放送、視聴率が取れるかどうかは大事です。次の興行と放送につながるからです。この試合の場合、角田審判は2Rまで試合を持たせたいと思ったのではないでしょうか。というより、それが彼の役割だったという気すらします。2人の試合自体は視聴率が取れることは超確定している目玉カードです。そしてメインイベントです。それが3分で終わってしまうか、インターバルも挟んでもう3分続くかでは視聴率はかなり変わって来るでしょう。このダウンの場面ではすでに1Rが残り10秒なので、なんとか曙を立ち上がらせることができれば2R突入は確定し、もう少し視聴率が稼げるのです。少しではなくたくさんですね。たしかあの試合は視聴率が30%を超えていたような気がします。なので曙がもう戦えない状態だったとしても、片膝でもついて起き上がったら角田レフェリーはダウンカウントを数えるのをやめたでしょう。ルールを適用させることより、試合を伸ばすことの方が大事なのですから。あわよくばダウンカウントをゆっくり数えているうちに1R終了のゴングを鳴らさせ、無理矢理2Rに流れ込ませようと思っていたのではないでしょうか?
 そのように考えて、明らかに失神して危険な状態の曙を試合を止めずにダウンカウントを数え始めてしまったのです。ところがタオルが投入されてしまいました。もしくは、レフェリー本人も曙の死んでいるような姿を見ていくらなんでもこりゃ無理やろと判断したのかもしれませんが、しぶしぶ試合終了を告げることになったのです。と僕は思っています。

 秋山VS桜庭という試合もありました。秋山選手が体にオイルを塗ってヌルヌルさせるというスポーツマンどころか人として恥ずべき作戦で試合に挑み、桜庭選手をボコボコにしました。後ほど大問題になり試合は無効になったのですが、一度は秋山選手の勝利として試合が成立しています。その最後のシーン、倒れた桜庭選手をヌルヌルで有名な秋山選手が殴りまくっているのですが、これも本来すぐさま試合を止めるべきところを、レフェリーの梅木という人物が試合を止めるのではなく、リングの外を気にしています。ダウンした選手をもう1方の選手がボコボコに殴っていて、そこからレフェリーが視線を逸らすということは通常は考えられません。目を離さず見てて適正にストップをかけないと死んじゃうかもしれないからです。
これも一応動画があります
 セコンドが「危ない危ない!」と叫んでいるのは、このままだと桜庭の体が危険なので早く試合を止めろという意味です。素人が見てもわかります。しかしレフェリーは試合を止めません。リングの外を気にしているのは、試合を止めていいか決める権限を持った人が外にいて、その人の判断を仰いでいるからではないでしょうか? 梅木さん本人もこのままだと危ないということはわかっているはずですが、彼は誰かの許可が無ければ試合を止めることはできなかったのではないでしょうか。
 最終的にどうなったかというと、レフェリーがまったく止めようとしないところで、他の誰かの判断で勝手にゴングが鳴らされました。秋山のwikiを見ると、前田の判断みたいですね。そこはさすが前田です。しかしレフェリーが試合を止めていないのに、外から誰かが勝手にゴングを鳴らすという、もはやルールもなにもあったものではない試合になってしまいました。ゴングはレフェリーの決めた結果を知らせるためのものなのに、それが先に結果を決めてしまっているという。
 要するに、本来ルールやレフェリングが厳密でなければならない格闘技が、テレビ放送を前提に試合やイベントが組まれ、生き残るにはテレビで数字を獲るしかないという状況に置かれた結果、オリンピックの買収された審判よりひどいと思われる無茶苦茶なレフェリング、不公正な試合が行われるようになってしまったのです。
 でも選手の命を危険に晒してまで不公正に視聴率を取りに行っていたわりには、K-1は運営会社のすさまじい借金と共に消えたようです。プロ格闘技っていうのは、肉体のハードさに対して収入が全然割に合わない仕事ではないでしょうか。先日近所の商店街でやっていた大日本プロレスさんの試合を見ましたが、試合がどうというより選手の体の傷がシャレになっていませんでした。デスマッチばかりやっているので、体中傷の跡だらけというか、惨殺死体みたいでした。時々女の子で手首がためらい傷だらけのホラーな状態になっている人がいますが、それが全身に及んでいるんです。あんなになっても、月給はごく一般的なデスクワークの派遣社員の方が多いのではないでしょうか? 昔僕もプロレスラーを目指していましたが、やめてよかったと思います。

日本は素晴らしい

 前回の放送の中で話題になりましたが、いかに海外と日本が違うかについて。
 世界には200を超える国がありますが、その中でも日本は特殊で、「日本」と「海外」で2つに分けることができるくらい、日本社会というのは特徴的だと思います。
 それはなんといってもサービスの素晴らしさ。細やかさ。電車が時間通りに来ることも含め、サービスというサービスが日本は他の国と比べて群を抜いています。日本には几帳面な人が多いからですね。これは本当に素晴らしい。
 日本人の仕事の丁寧さに各国で反響
 ↑のような記事を見ると、自分が日本人であることに誇りを感じます。
 日本人はこういう精密な仕事ができるから、それがわかっているから発展途上国の方々は普通の人は中国製品を買い、お金持ちは日本製品を買うのです。普通の人は某国車を買い、お金持ちは日本車を買うのです。それは日本の社会人は電車を分単位、cm単位で運行する緻密さと技術と細やかさを持っているからであり、それが長い年月をかけて世界で認められているからです。
 もし仮に「電車は5分程度なら自由に遅れても良い」というルールができたとしたら、そのいい加減さはすぐに全体に波及して他方に飛び火しあっという間に日本車の精密さと価値も5分分消えてしまうはずです。だんだんファストフード店の店員からも笑顔がなくなり、お釣りを投げて寄こすようになり、それによって余計ないざこざが起こり、約束の時間に遅れることが当たり前になり、その余計に待たされる時間を毎日積み重ねて、1億人分積み重ねて、膨大な量の日本の時間すなわち利益が失われて、GDPが下がり人は貧乏になり、教育にも医療や介護にもお金を使うことができず、子どもやお年寄りに優しくない社会になり、治るはずの病気や怪我が治療できず人はどんどん死んでいき平均寿命は下がり、人の数が減ればさらに経済活動は停滞し職を失った人々は犯罪に走り、強盗や殺人が日常茶飯事になり家屋は崩壊、街は焼け野原になりあちこちに撲殺された死体が散乱、力が支配する世の中となって特殊な拳法を使う者たちだけが女をかき集めてハーレムを作り、力の無い者たちは全員奴隷となって痩せた土地を耕して死ぬまで働かされ、死んだらその死体は切り刻まれて田畑にまかれて肥料にされ、飢えた人々は仲間や家族の腐乱死体を食い漁り、最終的に狂った権力者が核のボタンを押し地球の全生物は死滅します。
 つまり、今の世界というのは日本が秩序を保っているからこそ存在し得ているのです。日本が地球上の唯一にして最後の防波堤なのです。日本がこの正確な仕事を諦めてしまったら、もう地球の崩壊はすぐそこです。海外の方がギスギスしてなくていいなあ、なんて思っている人は、日本の果たしている役割の重要さをまったくわかっていないのです。
 日本の社会のように完璧なサービスを構築する作業というのは気の遠くなるような膨大な年月と労力がかかることであり、他のどの国がやろうとしてもできないほど難しいことで、なおかつ崩そうと思えば一瞬で崩れてしまう。砂のお城のようなものです。その素晴らしい社会を維持している日本という国は最高で、こんな緻密な日本という国に生まれて本当によかったと思うのです。アフリカでバスに乗ってるのに全然発車せず到着が予定より8時間遅れるとか、マジでいい加減にしろよと言いたい。あっちはもともと平均寿命が日本の半分くらいなのに、なおかつ日々それだけ時間を無駄にしていたら、彼らは実質20年くらいしか生きていないのではないでしょうか? そりゃあ日本との差はどんどん広がるばかりですよ。

お金

 2週間くらい前から、さくら通信の放送は以前にも増してより多くアクセスをいただいております。ちなみに第72回から、さくら通信は隔週放送となっております。
 さて、過去のアクセス最高記録は「お正月」、次に「ネットの評価」でそれぞれ週間5万アクセスくらいだったのですが、今回「芸能界」で初めて10万の大台を突破しました。
 こうなったら次はぜひ週間1000万の大台を目指したいところですが、今回のいきなり10万というのは確実にどこかの掲示板もしくは記事等でアドレスが晒されたことによる事故なので、また次回からは半分以下のアクセス数に戻ることは確実なんです。普段柔道を見ない人が、オリンピック期間だけ柔道を見るようなものですね。その期間が終わればまたみんな柔道を見なくなるように、さくら通信も一時のアクセス増を維持することは難しいのです。世の中そんなものです。難しいんですあなたの生きている世の中は。
 奈央、アクセスが増えたといってもほとんどの方がiphoneからのアクセスのためここ「さくら通信公式サイト」を見る人はめっきり増えておらず、なおかつ過去放送の販売本数もぜんぜん増えていないという、相変わらず「あんたんとこの話は金払ってまで聞くもんじゃないよね」と言われているようで悲しい。寂しい。本当に悔しい。

 それにしても、生きていくにはお金がかかりますね。
 遂に、このあいだうちのプリンタが、印刷を完全に拒否しました。
 しばらく前からもうカラーは受け付けず、時代遅れのモノクロ印刷で活動しておりましたが、いよいよパソコン上の有用な情報は紙とペンを使い自分でメモするという、2段階の時代遅れの作業をしなければならなくなりました。
 プリンタも6年も使っていると寿命ということなのでしょうか? 平均寿命6年なんて、かわいそうですねプリンタさんは。精一杯生きられたでしょうか? 否、今調べてみたところこのpixus860iは2003年の発売になっていました。ということは、発売後1年以内に買ったとしてもう8年もうちにいることになります。ということは、インド旅行記の原稿を自分でプリントアウトして、吐きそうになりながら出版社へ持ち込みに巡っていたあの原稿を印刷してくれたのがこのプリンタくんでしょうか。何百枚もの原稿を十何社分、何千枚も印刷をしてくれたわけですね。何日にもわたって何時間もかけて。何ワットもの電力を使って何デシベルもの音を出して。曖昧な数字です。そう考えると、このプリンタとさよならするのは、寂しい気もしますがそれよりなにより今日の原稿を書き、明日も原稿を書かなければならない、そのことで頭がいっぱいなので古いプリンタを粗大ゴミに出して新しいプリンタを買うとか面倒くさいです。

 しかしこのままだと、携帯でネットが見れない僕はそれこそどこかに行く時に地図を検索したら、それを手書きでメモして出かけなければいけません。自分の手書きの地図で目的地にたどり着けるのでしょうか?
 お店に飲食に行く時だって、クーポンをプリントアウトすることができません。そうなれば、ぐるなびやロッテリア公式サイトを見て、それを丁寧に手書きで書き写してクーポンを自作しなければいけないではないですか。はたして、ちゃんと再現性高く上手にクーポンを書いたとしても、それで割引を適用してくれるでしょうか? 現実に目の前のパソコンの画面にクーポンを表示させてそれを書き写したわけですから、それは効果としてはプリントしたクーポンとなんら変わりはないはずです。割引を適用させるのがお店側の義務だとは思います。しかし、建前ではそうだとしても、現実的に「ちゃんと本物のクーポンを見て書き写した」ということを証明するのは難しく、店の言い分としては「それはあなたがなにも見ずに想像で書いただけの偽物のクーポンじゃないんですか」という濡れ衣をこちらに着せることも可能になってしまうわけです。道義的には間違っていますが、それで店は僕のクーポンでの割引を拒否することができてしまうわけです。裁判に持ち込んだとしても、おそらくチェーン店でしたら有能な弁護士を雇うでしょうし、店側に有利な判決が出るのは目に見えています。法律というのは時として強い者の味方をしますから。
 一応デジカメは持っていますので、パソコンの画面に表示させたクーポンを色ペンで書き写しているというその自宅でのシーンを写真に収めて、お店で手書きクーポンを提示する時に一緒にデジカメの液晶でその現場写真も提示すれば、ちゃんと僕が本物のクーポンを見ているという証明になり割引が適用されることになるとは思います。しかしそれも、心ないお店の場合は「写真なんて合成でなんとでもなるだろう」「CGかもしれないじゃないか」と言われてしまうかもしれません。そうなったら、こちらもまた写真屋さんなどを呼んで来て一緒にお店に行ってもらい、「この写真は合成ではありません」ということをプロの視点から証言してもらう必要が出て来ます。当然そうなれば写真屋さんの交通費や出張費は僕が持つことになり、手書きや写真撮影の負担を含めてクーポンのお得感というものがあまり感じられなくなってしまいそうです。
 しかしそれでも安易な買い換えは控え手書きクーポンにこだわるのか。それとも山本さんに新しいプリンタを買ってもらうのか。非常に悩んでいます。
 ツイッターをお使いの方は、この方(https://twitter.com/tkago)に「さくらさんに新しいプリンタを買ってあげてください」とすすめていただけませんでしょうか? 多くの方の声が集まれば、動かせないものは無いと思うのです。それが民主主義の証明に繋がると思うのです。みんなが夢を見られる社会になると思うのです。まだまだ世の中、捨てたもんじゃないじゃないかと。どうぞみなさんよろしくお願いいたします。

音声認識

 明日はiphone5の発売日ですね。
 僕はまだ二つ折りの携帯で、ネットも見ることができないし、メールをすることもできません。なのでiphone5が出たら、絶対スマートフォンにしようと思っていました。
 しかし冷静に考えて、自分がスマホなんて使うのか。iphoneを持ったら、最低でも月6500円ほどかかると聞いています。今は月990円くらいです。毎月5000円以上料金が増えるだけの価値が、僕が使うスマホにあるかといったら疑問です。国内旅行で大活躍してくれると思っていたんですが、悲しいですけどこれからあまり旅行にも行けなくなりそうです。そうするとスマホなんて持ってもしょうがないと思ってみたり。また旅行に行きたいですけど。他に外出する予定はあまり無いのです。正直、外出してる暇があんまり無いんですが……。いろんな予定を断らなきゃいけないほど仕事に追われるというのは、きっと幸せなことなのでしょう。

 iphoneといえばsiriという音声認識機能がついているらしく、音声認識といえば、僕が腕の痛みに苦しんでいた時にキーボードで入力する代わりに使っていた認識ソフトが思い浮かばれます。マイクに向けて喋ったことをそのまま文字にしてくれるのですが、いろいろと微妙な認識をされたことがありました。その怪しい変換を記録してあるので、ここで公開したいと思います。

・僕の発声「また飲み水にも使えるし」 → 入力された文字「股のミミズにも使えるし」
 股のミミズというのはアレのことでしょうか。

・「大胸筋」 → 「大腸菌」
 これはまあ普通ですね。

・「寝台席」 → 「死んだ遺跡」
 これも誤変換としてはよくありそうです。

・「市バスでじいさんが」 → 「スベスベじいさんが」
 昔さくら通信でも話しましたが、スベスベじいさんというあだ名のよく滑るじいさんがどこかにいるらしいです。

・「ケアレスミスだった」 → 「エアロスミスだった」
 エアロスミスという言葉がそもそも認識ソフトに入っていたということですね。

・「釣りバカ日誌」 → 「釣り場可児市」
 可児市に釣り場があるというのは良い情報だと思います。

・「エクスキューズミー」 → 「レックス清澄」
 どこかの野球チームでしょうか?

・「デイジーちゃん」 → 「泥爺ちゃん」
 やはり泥爺ちゃんというあだ名のじいさんがどこかにいるのではないでしょうか。スベスベじいさんのライバルだと思われます。

・「おみそれしました」 → 「お店でしました」
 なにを??

・「プールで泳いでいて」 → 「トイレで泳いでいて」
 泳ぎたくないっす。

・「あっちにな」 → 「アッキーナ」
 なぜ音声認識ソフトがアッキーナをしっているのかが疑問です。
 
 
 ちなみに、このような誤認識の入力がされると、口頭で「バックスペース 3回」とか述べて文字を消し、再度喋って入力しなければいけなくなります。かなり面倒です。なので誤認識が出るとため息をつきますが、ため息をついたら「はぁ」と入力されたことがあって、ますます頭にきました。それはちゃんと入力されるのかよと。
 はぁをまた消さなければならず、結局ややこしくなって手で作業するという、無茶苦茶手間のかかるものでした音声認識というのは。今は河辺にある良い先生にかかっているおかげで、あれだけ痛みに苦しんでいた腕も肩も首もいきなり健康になり、マッサージ代も少なく済んで幸せです。

9月6日

 さくら通信が隔週放送になりました。
 文章の更新も隔週更新になりそうな気配がします。
 というのも、このさくら通信のサイトは基本的には「ネットラジオのサイト」という立ち位置でありますので、文章だけ毎週更新してしまうとエントリー(記事)の数が文章ばかり多くなってしまい、ネットラジオのサイトという雰囲気が無くなってしまうからです。
 本当はもっともっと、毎日でも文章の記事を更新したいと思っているのに、ネットラジオのサイトという立ち位置を守るために苦渋の決断として執筆を我慢し、ラジオの更新と文章の更新の数を合わせているのです。そういった大義名分を掲げて、本心はブログに時間を取られないことを喜んでいます。だって文章を書くのは時間がかかるんだもの。僕って悪いでしょう?

 それにしてもフリーランスのお仕事というのは、休日が無いものです。出勤日も無いけど。いつも言っているように。
 そうすると、休日を取るためには家から脱出することが必要となるのです。家にいると仕事をしなきゃいけないという強迫観念がつきまとうので。でも国内旅行で国内のどこかに脱出してしまえば、そこに仕事道具はありません。仕事ができる環境もありません。そして、旅行中には観光をしなければいけません。旅行中というのは観光が義務です。なのですから、その義務を果たすために2泊3日の時間をすべて費やすべきであり、その義務を果たさずにホテルで仕事なんてしていては、それは非国民ということになります。国民の義務を果たしていないことになるのですから。観光・納税・教育という3本柱が日本の法律によって定められている限り、旅行中なのに仕事のことを考えるなんていうことは許されないのです。旅行中は旅行に徹すべきです。仕事中は仕事に徹すべき。マッサージを受けている時は気持ちよさに徹するべきです。

 国内旅行と比べて、海外旅行の場合はどうかというと、それについては僕はもう海外旅行になんて行かないのでどうでもいいのです。海外には二度と出たくありません。冗談じゃないよ。仕事から逃れるために旅行に出ているのに、海外になんて行ってしまったらどう考えても旅行中は仕事よりきつい日々じゃないですか。海外旅行なんていうものは、罰として行くべきです。仕事をせずに怠けている期間が続いたら、罰として海外旅行に出かけて海外旅行という苦しみを味わうとか、そういう目的で行くべきです。ちゃんと毎日仕事をがんばっている僕のような人間は、ご褒美として国内旅行に行くべきなのです。仕事をがんばっているにも関わらず、自ら休日に海外旅行に行ってしまう人は、バカでしょう。自分いじめでしょう
 そういうこと言うと、怒られそうですね。今バカと言われて怒った人に、僕からひとこと言わせていただきたいです。どうもすみませんでした。
 オリンピックといえば、なんといっても木村沙織さんの長風呂です。
 スポーツ選手といえども女性ですので、毎日風呂には長く浸かってストレス解消をするのです。それにしても、下のインタビューを聞くと、木村選手の長風呂っぷりは尋常ではないです。やはりメダリストともなると、我々一般人とは感覚が違うのだと思います。風呂に浸かっている期間、食事とかはどうしているのでしょうか?

タイムシフト予約

 最近、見たかった番組を立て続けに見逃しているのです。
 石井光太さんの情熱大陸と、NHKオリンピックの総集編です。
 総集編に関しては、記憶の中ではたしかに番組表を表示させて録画ボタンを押したはずなのに、なぜか録れていないんです。オリンピック関連の番組はたくさん録っていたので、タイトルがこんがらがって間違えて勝手に消してしまったんでしょうか。間違って消すんだったら、せめて明石家さんまの方の総集編を消した方がよかったです……。ああいうバラエティなノリの総集編は、感動が薄くなるので別に見れないなら見れないでよかったのです。でもNHKの方を見逃したというのは屈辱です。ロンドンオリンピックはもう二度と戻って来ないのに。50年後に人生を振り返ったら、きっとこのことを深く後悔するのだろうな……。
 石井光太さんの情熱大陸は、幸いYoutubeで見ることができました。おそらく著作権の問題でupされて消されてというくり返しだと思いますが、なんとかupされている期間にすかさずチェックすることができました。参考記事
 そこで、ものすごく欲しくなったのがタイムシフト予約機能付きのテレビです。欲しい。しかし、テレビはまだ買ってそんなに期間が経っていないため、買い換えるわけには参りませぬ。まだうちのは新しいから。なので、DVDプレーヤーの方を買いたいと思うのです。タイムシフト予約機能つき、見逃した番組を1週間程度、低画質でなら最大2週間まで遡って見られるプレーヤー。これがもう欲しくてしょうがないのです。
 でも、10万円もするんです!!
 家電で10万円なんて……。パソコンでもあるまいし。
 テレビは多少奮発して買ったので10万円近くしたと思います。パソコンもそうです。しかしその2つは使用頻度がズバ抜けているので、たった1年でもう確実に元を取っていると思います。テレビは高かったといっても、その前のテレビは20歳くらいから13年くらい使っていたものなので、13年ぶりに買い換えるとなれば少しくらい高くても神様は許してくれるでしょう。でもDVDレコーダーに10万円というのはさすがに二の足を踏みます。録画なんていうものはテレビのHDDで行うわけなので、DVDプレーヤーを使うのはたまにDVDをレンタルして観る時。そして観たかった番組を見逃した時ですが、番組を見逃して心から後悔することというのは、年に数回のような気がします。その数回のために10万円……。
 やはりこういう時は、ボーナスが出る人がうらやましく思います。ボーナスは給料にプラスしてのご褒美なので、DVDプレーヤーを観るために使えるはずなんです。僕の場合は印税収入ですがそれはすべて生活費に充てる印象なので、生活費を削ってDVDプレーヤーを買うとなれば……。しばらくの間、カップラーメンとすき家でしのがなければいけません。激しく節約しなければいけないですから。節約で10万円を作るというのはなかなかしんどいです。課長くらいの役職を持っている人なら毎月10万円ずつくらい平気で娯楽に使えると思うのでほいほい買えるでしょうけど。毎月新しいDVDプレーヤーに買い換えることすらできるはずです。
 せめて僕がもっと売れる作家になれれば。タイムシフト予約機能付きのDVDプレーヤーを買えるくらいの収入に余裕がある人間になれれば……。ボーナスが出た人は、10万円分僕にくれないでしょうか。幸せは身近な人たちで分け合うのが美しい人間の姿です。タイムシフト予約機能つきのブルーレイレコーダー……。
 REGZAです。うちはテレビがREGZAなので、レコーダーもREGZAにするんです。もしも見逃した番組が後から観られたら……。それは僕にとって革命です。まさに未来の世界です。夢の世界です。ドラえもんの世界が現実になったと言っても過言ではありません。だってある意味ではタイムマシンで過去に戻って番組を観るのと同じことをしているんですから!! そんな未来のテクノロジーが登場したその時代に僕が生きていられてすごく嬉しいです!! でも嬉しいのだけど、その機械を僕が買う財力が無いので、もっと人生を精進しなければいけません。ボーナスが出る人はいいですけど。僕のようなブルーカラーの人間にはそんなものは出ないんです。僕はブルーカラーの中でもさらに下層に位置する人間ですから。課長クラスの収入なんて夢のまた夢です。収入も地位も僕は課長になんて遠く及ばないんです。外は暑そうですね。外に出ないからわからないです。毎日1人でクーラーの効いた、雨戸の締め切ったワンルームの中でひたすらパソコンに向かっています。ゼロカロリーコーラを毎日飲んでいます。そしたら太りました。

ぐぬぬ

 悲しいですねオリンピックが終わってしまって。本当に悲しい。
 これから何を支えにして生きていけばいいのでしょう。
 オリンピックの前に何を支えにして生きていたのかももう思い出せません。
 オリンピックが終わったからには不眠症は治るのか……。というか、もう毎日午前中に起きることを諦めれば、寝れるようにはなると思うんです。「非24時間睡眠覚醒症候群」または「概日リズム睡眠障害」ではないかと疑っています。毎日起きる時間、寝る時間がずれていくという症状は完璧にあてはまっているので。それを無理矢理変えて一般市民としての生活をしようとしたら眠れなくなるんです。
 東海道線に乗ったのですが、誰もいない席の床に、天むすが落ちていました。
 最初は僕はその席に座ろうとしたのですが、床に食べ物が落ちているような席に座りたくないので他の所へ行きました。
 そこで思うのですが、天むすを落とした人は、なぜ拾って行かなかったのでしょうか?
 後の人が座れなくて困るし、汚いなあと思うし、車掌さんがそれを掃除する羽目になるのです。いろんな人に迷惑がかかる。そういう簡単なことを想像できない虫のような知能のクズか、人に迷惑がかかるってことは想像できるけど、自分がそれを拾う面倒くささを考えたら迷惑かけるくらいいいや、と思うような人間社会の害虫、当然こちらもクズか、いずれにしてもあの天むすを落としてそのまま出て行った乗客は、クズです。カスです。そいつが落としたゴミよりも、本人がずっと汚いゴミ野郎です。
 なんでそんなクズがこの世に生きているんでしょうか? そんなクズが生きていても関わる人間がイヤな気持ちになるだけで、世界になんのプラスも発生しません。いや、クズはクズなりに、なり手のいないような辛い仕事を生業にしており、それなりに世の役に立っているのでしょうか?
 僕は、あんな大きなゴミを公共の場で捨てるもしくは落ちても拾わないような奴は、すぐに死んでもいいと思いますね。そういう人間の存在自体が害ですから。ゴミひとつの問題じゃなくて、もしそいつが25歳だとしたら、そのクズは25年間ずっと同じように人の迷惑を考えずに周りに害を与え続けてきたわけです。神に誓って絶対にそうです。たまたま今日今回だけ人生で最初で最後にゴミを拾わなかったなんてことは絶対にありません。そいつは、今日ゴミを拾わなかったことの何千倍、何万倍と今までそしてこれから、人に害をなす人間なんです。クズですから。そういう奴は死ぬか、民度の低い近隣の国へ行けよ。

大人の交際

 この前、デートについて話した時があったじゃないですか。
 誰かが言いました。

 「大人になったら、いちいち『つき合って』なんて言葉にしないよね」
 
 でも僕は思うのです。
 大人になっても、つき合ってといちいち言いますよね? そういうことは、筋を通すのが誠実な人間ってものではないでしょうか。
 言わなくてもわかるなんていうのは、あくまでも理想論であってなかなか人というのはそこまで利口な生き物ではないと思うのです。言わなくてもわかるだろう、きっとあいつはわかってくれるだろう、そんなうぬぼれが、やがて夫婦間の埋まらない深い溝になってゆくのです。
 だから、すきー! とか、つき合って-! とか、言われたいものですね。そういうことをたまには言われてみたい、そんなお年頃です僕は。今が青春なんですから。
 というのも、今僕はかなり頭がボーっとしているのです。ここのところずっとですね。
 最近寝不足で頭がボーっとしていますが、たしかにオリンピックが一因を担っていることは明らかであります。
 では果たして、オリンピックが終わったなら寝不足は解消されるのか? ちゃんと寝られるようになるのか? それは謎であり、もしオリンピックが終わっても寝られなかったら、僕はまずいです。
 それにしても、世の中の大人の人たちは、つき合ってとか言わないのでしょうか? 大人になるってことは、やはりそんなに薄汚れたものなのでしょうか? だとしたら、僕は大人なんかになりたくない!! いつまでも純真な子どもでいたいんだ!!
 それにしてもサッカーもバレーも3位決定戦の相手が韓国とは……。眠れないですのー。でもバレーは明日7時半だからいいか……。でも今日は6時まで寝れないですよ。終わる。

出てって

 最近原稿書いています。
 書いていない期間も長かったですけど。
 作家というのは常に原稿を書いているわけではありません。なぜなら、頭の中にある知識や経験のストックだけではとうてい本は書けるものではないからです。
 大学教授が新書を出すなんていう時には、普段研究しているところから引き出してくればいいので案外すらすらと書けるでしょう。とはいえそれもその本を書く時に限ってはというところで、その前に長年にわたる勉強や研究があったわけですが。
 そこを専業作家の場合は本を書くにあたって1から勉強を始めたりするので、書き始めるまでに時間がかかるのです。自分の経験の中から材料を持ち出して来ることもありますけれど、それだけでは本は書けないもので、それにプラスして新しく学ぶことや経験しなきゃいけないことがたくさんあるのです。旅行記も、本を出すためには原稿を書く前に旅行をしなければいけないですし。先にプライベートで旅行をしていて、それを思い返して書くだけとすれば、本を書くために勉強したという感覚とは違うかもしれませんが。僕は先に素人として旅行していたこともありますし、南米旅行記を書いた時には、本の企画が立ち上がってから旅に出たために旅行4ヶ月+本の作業半年で、1冊作るのにトータル1年くらいかかってしまいました。そのわりにはたいして売れなかったという。あそこまで壮大な旅をしたのに! 悲しい。

 意外な経験が、原稿のためには必要なのです。一見遊びのように見えることでも、それは原稿に生きてくるのです。一見遊びの目的で女の子と遊んだりまた別の女の子と遊んだり、3股をかけて修羅場になったり夜のお店に通い詰めたり、ただ欲望のままに遊んでいるだけのように感じられてもそんなことも将来きっと原稿に生きてくるのです。
 なのでそういう体験を僕も一度くらいはしてみたいなって思っています! でも、生来の真面目な性格が祟って、僕はそのようないかがわしいことは出来ないんです。作家としては遊ぶ経験も必要なのに。なぜ僕はこんなにも誠実で道徳的で人を傷つけられない人間になってしまったのでしょうか。これでは作家失格ではないですか。誠実な人間なんですけど、作家として一度くらいは女性を泣かせてみたいと思っているのですが……。遊ぶ経験も必要なのに……。遊んで下さい。

 というように本を1冊書くためには原稿に取りかかるまでの勉強期間が長いというか、勉強と言い張ってただ遊んでいるだけの場合もありますが、その期間を終えて今は原稿に取りかかっているんです。
 そこで、原稿の中で「出てって!」というセリフを書きました。
 出てって! そしてさらに、「出てってって!!」と書きました。
 出てってって!! というのは怒っているセリフですが、なんかリズム感がありませんか? でてってって! でてってって♪ デテッテッテテ、テッ♪
 出てってって!! と書きながら読みながら、僕の頭にはこの音楽が流れました。終わり。