レフェリー

 レフェリーというのは公正であるべきですね。
 オリンピックという大舞台でも、審判の買収・不正が行われていたように思います。ボクシングの清水選手の試合です。相手の選手がフラフラで何度もダウンしていたにもかかわらず、レフェリーがダウンではなくスリップだとし、最終的な判定でも相手選手の勝利にしてしまったけれど後から日本側が抗議をして覆ったという内容でした。あれは誤審というレベルではなくレフェリングの八百長で、実際にレフェリーもオリンピックから追放されたという記事もあり、金銭授受の疑惑の記事もあり、まあ不正ですね不正。参考記事

 格闘技は素早く正確なレフェリングをしなければ選手の体が危険に晒されますので、他のスポーツと比べても負けず劣らずレフェリーの質が大事になると思われます。僕は角田信朗という選手には、割と良い印象を持っていました。その昔、20年近く前に前田日明のリングスという団体に正道会館の選手として参戦しており、試合には負けることが多かったですが小柄な体でトレーニングを積んで熱く燃えて一生懸命戦っていてナイスファイトだなあ、と思っていました。バラエティ番組なんかに出ても熱血で感じが良いですよね。
 その角田さんは、K-1の試合でレフェリーもしていました。ところが彼のレフェリングには、問題が散見されるようです。
角田レフェリーについてのウィキペディア

 やっていることはロンドンオリンピックの追放レフェリーと同じ……。
 K-1はヘッドギアもつけていないため、危険度がオリンピックのボクシングとは比べものになりません。
 なぜこんなことになってしまうかというと、視聴率を上げなければいけないからではないでしょうか。ボブ・サップVS曙という試合が、何年か前の大晦日にあったと思います。その時のレフェリーも角田審判でした。1Rで曙がKOされ、そのシーンはほとんどの人は1度は見たことがあるのではないかと思います。完全な失神状態ですね。動画
 本来、これはダウンした瞬間に試合を止めるべきなのです。誰が見てももう倒れた瞬間に曙は立てないのがわかる。もしこれがプロボクシングの試合だったらそうなっていたでしょう。しかし大晦日の地上波放送、視聴率が取れるかどうかは大事です。次の興行と放送につながるからです。この試合の場合、角田審判は2Rまで試合を持たせたいと思ったのではないでしょうか。というより、それが彼の役割だったという気すらします。2人の試合自体は視聴率が取れることは超確定している目玉カードです。そしてメインイベントです。それが3分で終わってしまうか、インターバルも挟んでもう3分続くかでは視聴率はかなり変わって来るでしょう。このダウンの場面ではすでに1Rが残り10秒なので、なんとか曙を立ち上がらせることができれば2R突入は確定し、もう少し視聴率が稼げるのです。少しではなくたくさんですね。たしかあの試合は視聴率が30%を超えていたような気がします。なので曙がもう戦えない状態だったとしても、片膝でもついて起き上がったら角田レフェリーはダウンカウントを数えるのをやめたでしょう。ルールを適用させることより、試合を伸ばすことの方が大事なのですから。あわよくばダウンカウントをゆっくり数えているうちに1R終了のゴングを鳴らさせ、無理矢理2Rに流れ込ませようと思っていたのではないでしょうか?
 そのように考えて、明らかに失神して危険な状態の曙を試合を止めずにダウンカウントを数え始めてしまったのです。ところがタオルが投入されてしまいました。もしくは、レフェリー本人も曙の死んでいるような姿を見ていくらなんでもこりゃ無理やろと判断したのかもしれませんが、しぶしぶ試合終了を告げることになったのです。と僕は思っています。

 秋山VS桜庭という試合もありました。秋山選手が体にオイルを塗ってヌルヌルさせるというスポーツマンどころか人として恥ずべき作戦で試合に挑み、桜庭選手をボコボコにしました。後ほど大問題になり試合は無効になったのですが、一度は秋山選手の勝利として試合が成立しています。その最後のシーン、倒れた桜庭選手をヌルヌルで有名な秋山選手が殴りまくっているのですが、これも本来すぐさま試合を止めるべきところを、レフェリーの梅木という人物が試合を止めるのではなく、リングの外を気にしています。ダウンした選手をもう1方の選手がボコボコに殴っていて、そこからレフェリーが視線を逸らすということは通常は考えられません。目を離さず見てて適正にストップをかけないと死んじゃうかもしれないからです。
これも一応動画があります
 セコンドが「危ない危ない!」と叫んでいるのは、このままだと桜庭の体が危険なので早く試合を止めろという意味です。素人が見てもわかります。しかしレフェリーは試合を止めません。リングの外を気にしているのは、試合を止めていいか決める権限を持った人が外にいて、その人の判断を仰いでいるからではないでしょうか? 梅木さん本人もこのままだと危ないということはわかっているはずですが、彼は誰かの許可が無ければ試合を止めることはできなかったのではないでしょうか。
 最終的にどうなったかというと、レフェリーがまったく止めようとしないところで、他の誰かの判断で勝手にゴングが鳴らされました。秋山のwikiを見ると、前田の判断みたいですね。そこはさすが前田です。しかしレフェリーが試合を止めていないのに、外から誰かが勝手にゴングを鳴らすという、もはやルールもなにもあったものではない試合になってしまいました。ゴングはレフェリーの決めた結果を知らせるためのものなのに、それが先に結果を決めてしまっているという。
 要するに、本来ルールやレフェリングが厳密でなければならない格闘技が、テレビ放送を前提に試合やイベントが組まれ、生き残るにはテレビで数字を獲るしかないという状況に置かれた結果、オリンピックの買収された審判よりひどいと思われる無茶苦茶なレフェリング、不公正な試合が行われるようになってしまったのです。
 でも選手の命を危険に晒してまで不公正に視聴率を取りに行っていたわりには、K-1は運営会社のすさまじい借金と共に消えたようです。プロ格闘技っていうのは、肉体のハードさに対して収入が全然割に合わない仕事ではないでしょうか。先日近所の商店街でやっていた大日本プロレスさんの試合を見ましたが、試合がどうというより選手の体の傷がシャレになっていませんでした。デスマッチばかりやっているので、体中傷の跡だらけというか、惨殺死体みたいでした。時々女の子で手首がためらい傷だらけのホラーな状態になっている人がいますが、それが全身に及んでいるんです。あんなになっても、月給はごく一般的なデスクワークの派遣社員の方が多いのではないでしょうか? 昔僕もプロレスラーを目指していましたが、やめてよかったと思います。

第75回放送 「お酒」

「酒が飲めないなんて人生の半分は損してる」という言葉を発することの愚かさを噛み締めて欲しい。

・人生にはもっと楽しいことがいっぱいある
・酔ってしでかしたことを酒のせいにする罪深さ
・生ビールをじゃんじゃん頼む人はがさつだ
・日本人らしい食生活を

といった内容について話しております。

日本は素晴らしい

 前回の放送の中で話題になりましたが、いかに海外と日本が違うかについて。
 世界には200を超える国がありますが、その中でも日本は特殊で、「日本」と「海外」で2つに分けることができるくらい、日本社会というのは特徴的だと思います。
 それはなんといってもサービスの素晴らしさ。細やかさ。電車が時間通りに来ることも含め、サービスというサービスが日本は他の国と比べて群を抜いています。日本には几帳面な人が多いからですね。これは本当に素晴らしい。
 日本人の仕事の丁寧さに各国で反響
 ↑のような記事を見ると、自分が日本人であることに誇りを感じます。
 日本人はこういう精密な仕事ができるから、それがわかっているから発展途上国の方々は普通の人は中国製品を買い、お金持ちは日本製品を買うのです。普通の人は某国車を買い、お金持ちは日本車を買うのです。それは日本の社会人は電車を分単位、cm単位で運行する緻密さと技術と細やかさを持っているからであり、それが長い年月をかけて世界で認められているからです。
 もし仮に「電車は5分程度なら自由に遅れても良い」というルールができたとしたら、そのいい加減さはすぐに全体に波及して他方に飛び火しあっという間に日本車の精密さと価値も5分分消えてしまうはずです。だんだんファストフード店の店員からも笑顔がなくなり、お釣りを投げて寄こすようになり、それによって余計ないざこざが起こり、約束の時間に遅れることが当たり前になり、その余計に待たされる時間を毎日積み重ねて、1億人分積み重ねて、膨大な量の日本の時間すなわち利益が失われて、GDPが下がり人は貧乏になり、教育にも医療や介護にもお金を使うことができず、子どもやお年寄りに優しくない社会になり、治るはずの病気や怪我が治療できず人はどんどん死んでいき平均寿命は下がり、人の数が減ればさらに経済活動は停滞し職を失った人々は犯罪に走り、強盗や殺人が日常茶飯事になり家屋は崩壊、街は焼け野原になりあちこちに撲殺された死体が散乱、力が支配する世の中となって特殊な拳法を使う者たちだけが女をかき集めてハーレムを作り、力の無い者たちは全員奴隷となって痩せた土地を耕して死ぬまで働かされ、死んだらその死体は切り刻まれて田畑にまかれて肥料にされ、飢えた人々は仲間や家族の腐乱死体を食い漁り、最終的に狂った権力者が核のボタンを押し地球の全生物は死滅します。
 つまり、今の世界というのは日本が秩序を保っているからこそ存在し得ているのです。日本が地球上の唯一にして最後の防波堤なのです。日本がこの正確な仕事を諦めてしまったら、もう地球の崩壊はすぐそこです。海外の方がギスギスしてなくていいなあ、なんて思っている人は、日本の果たしている役割の重要さをまったくわかっていないのです。
 日本の社会のように完璧なサービスを構築する作業というのは気の遠くなるような膨大な年月と労力がかかることであり、他のどの国がやろうとしてもできないほど難しいことで、なおかつ崩そうと思えば一瞬で崩れてしまう。砂のお城のようなものです。その素晴らしい社会を維持している日本という国は最高で、こんな緻密な日本という国に生まれて本当によかったと思うのです。アフリカでバスに乗ってるのに全然発車せず到着が予定より8時間遅れるとか、マジでいい加減にしろよと言いたい。あっちはもともと平均寿命が日本の半分くらいなのに、なおかつ日々それだけ時間を無駄にしていたら、彼らは実質20年くらいしか生きていないのではないでしょうか? そりゃあ日本との差はどんどん広がるばかりですよ。

第74回放送 「旅の素晴らしさ」

※公開休止中 過去放送&おまけ新作セットを購入するとお聞き頂けます

定期的に放送する海外旅行ものです。過去に経験した事柄の中で、最も話すことがたくさんあるのが旅のことなので。

・高知県の危険性について
・旅に素晴らしいことなどあるのか
・旅の経験は帰国後に役に立つのか?
・さくら剛新刊レビュー

といった内容について話しております。

お金

 2週間くらい前から、さくら通信の放送は以前にも増してより多くアクセスをいただいております。ちなみに第72回から、さくら通信は隔週放送となっております。
 さて、過去のアクセス最高記録は「お正月」、次に「ネットの評価」でそれぞれ週間5万アクセスくらいだったのですが、今回「芸能界」で初めて10万の大台を突破しました。
 こうなったら次はぜひ週間1000万の大台を目指したいところですが、今回のいきなり10万というのは確実にどこかの掲示板もしくは記事等でアドレスが晒されたことによる事故なので、また次回からは半分以下のアクセス数に戻ることは確実なんです。普段柔道を見ない人が、オリンピック期間だけ柔道を見るようなものですね。その期間が終わればまたみんな柔道を見なくなるように、さくら通信も一時のアクセス増を維持することは難しいのです。世の中そんなものです。難しいんですあなたの生きている世の中は。
 奈央、アクセスが増えたといってもほとんどの方がiphoneからのアクセスのためここ「さくら通信公式サイト」を見る人はめっきり増えておらず、なおかつ過去放送の販売本数もぜんぜん増えていないという、相変わらず「あんたんとこの話は金払ってまで聞くもんじゃないよね」と言われているようで悲しい。寂しい。本当に悔しい。

 それにしても、生きていくにはお金がかかりますね。
 遂に、このあいだうちのプリンタが、印刷を完全に拒否しました。
 しばらく前からもうカラーは受け付けず、時代遅れのモノクロ印刷で活動しておりましたが、いよいよパソコン上の有用な情報は紙とペンを使い自分でメモするという、2段階の時代遅れの作業をしなければならなくなりました。
 プリンタも6年も使っていると寿命ということなのでしょうか? 平均寿命6年なんて、かわいそうですねプリンタさんは。精一杯生きられたでしょうか? 否、今調べてみたところこのpixus860iは2003年の発売になっていました。ということは、発売後1年以内に買ったとしてもう8年もうちにいることになります。ということは、インド旅行記の原稿を自分でプリントアウトして、吐きそうになりながら出版社へ持ち込みに巡っていたあの原稿を印刷してくれたのがこのプリンタくんでしょうか。何百枚もの原稿を十何社分、何千枚も印刷をしてくれたわけですね。何日にもわたって何時間もかけて。何ワットもの電力を使って何デシベルもの音を出して。曖昧な数字です。そう考えると、このプリンタとさよならするのは、寂しい気もしますがそれよりなにより今日の原稿を書き、明日も原稿を書かなければならない、そのことで頭がいっぱいなので古いプリンタを粗大ゴミに出して新しいプリンタを買うとか面倒くさいです。

 しかしこのままだと、携帯でネットが見れない僕はそれこそどこかに行く時に地図を検索したら、それを手書きでメモして出かけなければいけません。自分の手書きの地図で目的地にたどり着けるのでしょうか?
 お店に飲食に行く時だって、クーポンをプリントアウトすることができません。そうなれば、ぐるなびやロッテリア公式サイトを見て、それを丁寧に手書きで書き写してクーポンを自作しなければいけないではないですか。はたして、ちゃんと再現性高く上手にクーポンを書いたとしても、それで割引を適用してくれるでしょうか? 現実に目の前のパソコンの画面にクーポンを表示させてそれを書き写したわけですから、それは効果としてはプリントしたクーポンとなんら変わりはないはずです。割引を適用させるのがお店側の義務だとは思います。しかし、建前ではそうだとしても、現実的に「ちゃんと本物のクーポンを見て書き写した」ということを証明するのは難しく、店の言い分としては「それはあなたがなにも見ずに想像で書いただけの偽物のクーポンじゃないんですか」という濡れ衣をこちらに着せることも可能になってしまうわけです。道義的には間違っていますが、それで店は僕のクーポンでの割引を拒否することができてしまうわけです。裁判に持ち込んだとしても、おそらくチェーン店でしたら有能な弁護士を雇うでしょうし、店側に有利な判決が出るのは目に見えています。法律というのは時として強い者の味方をしますから。
 一応デジカメは持っていますので、パソコンの画面に表示させたクーポンを色ペンで書き写しているというその自宅でのシーンを写真に収めて、お店で手書きクーポンを提示する時に一緒にデジカメの液晶でその現場写真も提示すれば、ちゃんと僕が本物のクーポンを見ているという証明になり割引が適用されることになるとは思います。しかしそれも、心ないお店の場合は「写真なんて合成でなんとでもなるだろう」「CGかもしれないじゃないか」と言われてしまうかもしれません。そうなったら、こちらもまた写真屋さんなどを呼んで来て一緒にお店に行ってもらい、「この写真は合成ではありません」ということをプロの視点から証言してもらう必要が出て来ます。当然そうなれば写真屋さんの交通費や出張費は僕が持つことになり、手書きや写真撮影の負担を含めてクーポンのお得感というものがあまり感じられなくなってしまいそうです。
 しかしそれでも安易な買い換えは控え手書きクーポンにこだわるのか。それとも山本さんに新しいプリンタを買ってもらうのか。非常に悩んでいます。
 ツイッターをお使いの方は、この方(https://twitter.com/tkago)に「さくらさんに新しいプリンタを買ってあげてください」とすすめていただけませんでしょうか? 多くの方の声が集まれば、動かせないものは無いと思うのです。それが民主主義の証明に繋がると思うのです。みんなが夢を見られる社会になると思うのです。まだまだ世の中、捨てたもんじゃないじゃないかと。どうぞみなさんよろしくお願いいたします。