第6回放送 「地球最後の日」

覚悟を決めて放送します。このような人心を惑わせる放送を。しかしパニックを恐れて情報公開をしなければ、後に迫る危険は大きくなるばかりなのです。
どうかみなさん落ち着いて聞いてください。まだ時間はあります。どのように審判の日を迎え、どのように生き延びるか。
この放送をヒントに、みなさん自身で判断なさってください。その時までなにをすればいいのかを。


このサイトについて

 余談ではありますが、上のメニューの「サイト案内」をクリックいただきますと、さくら剛の肖像画があらわれるようになりました。
 これは同じ出版社から本を出している縁で知り合いましたイラストレーターのアネット画伯に描いていただいたものです。おそらく、「さくら剛って誰なんだよ」という疑問を抱いてらっしゃる方は、この肖像画を見てだいたいのイメージを掴んでいただけるのではないかと思います。
 おおよそさくら剛はこの絵のような姿をしています。僕は「イケメンすぎて、まるで少女マンガから飛び出してきたみたい」とは以前からよく言われていましたので、このアネット画伯による肖像画はさくら剛を90%は表しているといえましょう。

 えーとここにいろいろ書きたいことはありまして、よってここ1時間くらい「サイト完成までの歴史」みたいなことを入力していたらどうも自慢&愚痴という「良識ある大人が人に聞かせてはいけない話」の羅列になってしまいました。なのでいったん全部消しました。1時間が無駄に。僕は「人生には無駄なことなんてひとつもないんだよ」という考え方が好きではなく、どう考えても無駄なことはたくさんあるに決まってると思っている派なので、その1時間が無駄になったことを考えるとそれを無駄にした張本人である自分に対して腹立たしいです。
 次の放送のテーマは「地球最後の日」です。ご期待ください。

第5回放送 「トイレ」

さくら剛といえばトイレ、トイレといえばさくら剛。

さくら剛は旅行作家などではなく、「海外のトイレの様子を汚く書く人」という存在であるといった方が適した表現かもしれません。

放送の中でも呼びかけておりますが、くれぐれもお食事中の方はお食事を終えてから聞いていただくようお気をつけください。ご注意ください。あなたの身を守るのはあなた自身なんです。

この放送を聞いたことによりめまい、吐き気、頭痛などの症状が出たとしても弊サイトは一切責任を負いかねますのでご了承下さい。ウッソ! そんなことにはならないですけどきっと!

結婚とは

  最近結婚式は大々的にはやらずに、ハワイなんかに出かけてこじんまりとやる人が増えているじゃないですか。
 僕はこれってとても良い傾向だと思うんですよ。

 まずは友人の立場としてみれば、せっかくの休日に堅苦しい場所まで呼び出された挙げ句退屈なものを見せられてなおかつ何万円も金銭を要求されるような、そんな「他人の披露宴」というイベントなんてもうまっぴらごめんなわけですよ。
 日曜の昼といえば万波奈穂ちゃんが司会を務めるNHK囲碁トーナメントが放送されているわけですから、そんな大事な時にくだらない友人の仲良しセレモニーに参加させられるなんて冗談じゃないのです。

 僕はといえば、友人のためならいくらでもひと肌脱ぎますし、友情のためなら命を捧げてもいいと普段から思っているくらいの熱血漢なので、上に書いたようなことはゆめゆめ思ったりしないわけですが、世の中の大多数の人というのはそういうような感想を持っているんじゃないかと思うわけですよ。
 新郎新婦の、子ども時代からの成長の軌跡や出会いのエピソードの動画などを昼間っから見せられて楽しいですか? 貴重な日曜にわざわざ呼び出されて。そんなものよりNHK囲碁トーナメントもしくは録画しておいた「朝まで生テレビ」を見た方がよっぽどおもしろいしためになります。

 僕は常識ある社会人として、仮に招待客として大事な友人や関係者を招いたならば、その大事な人たちに自己満足でしかない新郎新婦の出会いのエピソード映像その他もろもろを見せるような失礼なことはすべきではないと思っています。自分だったら、絶対にそんなことはしません。
 他人の気持ちを察してあげられる思いやりのある人であれば、ご祝儀を出してくれる人たちに対してエピソード映像のようなつまらないものを見せるような、恩を仇で返すような所行は許されるものではないと思います。
 …………。
 なーんちゃってね!!
 今のは冗談でーす。実は、そんなこと本当は思っていないのでしたー!!
 僕がそんな薄情なことを考える人間だと思ってしまったそこのあなた。見事にひっかかりましたね? 僕は無邪気だから、思ってもいないことをブログに書いて読者のみなさんを騙しちゃおういう企画を自分で勝手に行うことがあるのでーす。そんなふうに披露宴の悪口を言うのは僕の本心からではないよー!

 僕が10年ほど前に披露宴会場で働いていた時は、会場までウェディングケーキを運ぶ際に毎回ケーキが乗っている台車をひっくり返して全てを台無しにしてやりたい衝動にかられて、そんな自分を抑えるのに必死でした。

 つまり、そのような心身共に手間のかかる友人の結婚式も、ハワイで身内だけで挙式を行ってくれれば参加する義務はなくなりこちらとしてはいつも通りの平和な日曜が過ごせるわけです。無駄な出費も必用なし。

 一方、新郎新婦側にもお金がかからないというメリットと、なによりも「身内だけでやります」という言い訳がついているので友達が少なくても傷つくことはないという利点があります。
 もしもしっかりした結婚式場で披露宴を開催してしまったら。それなのに招待状をバラ撒いても誰も来てくれなかったとしたら。僕なんかは大いにそのパターンにはまる可能性が高いわけです。きっと当日参列者のみなさまにドタキャンされて、奥さんである新婦側はともかく僕の方の新郎側招待席には人っ子1人おらず、ただ両親だけが高砂から遠く離れた後方の親族席で寂しげに友達のいない息子を見守ることになるでしょう。みじめな門出です。

 というようなそんな悲劇を避けるためにも、「ハワイで身内だけで挙式」という形は理想的なのです。式を挙げる者にとっても、友人にとっても、それがベストな形です。披露宴なんていらないよ。
 なお、小さい頃から毎週のように遊んでいた僕のイトコ(女)がやはりハワイで身内だけの挙式を行ったのですが、その際に僕は呼ばれませんでした。身内だと思っていたのは僕の方だけだったようですね(笑)。
 
 

第4回放送 「結婚式」

※公開休止中 過去放送&おまけ新作セットを購入するとお聞き頂けます

今回登場する人物名はすべて仮名ですのでご了承ください。

さて、第4回目のテーマは「結婚式」です。本気ではないのですが結婚式に対して文句をつけているので、過去に結婚式を挙げられたという方はなるべく今回の放送は聞かないでいただけるとありがたいです。内容はあくまでジョークですよ!

ひきこもり旅作家

 僕ことさくら剛は放送内で自分のことを「ひきこもり旅作家」と名乗っていますが、これは実は「ひきこもり」をテーマにした第3回放送のせいなのです。

 放送冒頭では「相反するものをくっつけるのが今のトレンド」だということで、かつらボクサーやイカレスラーと並べて「ひきこもり旅作家」を話題として取り上げたわけです。それこそが僕が自分をひきこもり旅作家と呼んでいる理由で、すなわちかつらボクサーやイカレスラーと一緒に取り上げてひとネタ、ひと盛り上がりを作りたいがために、僕は自分の意に反して自分の肩書きを「ひきこもり旅作家」に無理矢理設定したのです。

 たったの1回の放送のために決めた肩書きであるなら、その放送が終わればもうその肩書きは必用無いわけです。
 もはやひきこもり旅作家などという、そんな成人男子にあるまじき呼称は必用あるまじきこと。
 しかしなんとも第1回から第3回まで「ひきこもり旅作家のさくら剛です」と挨拶し今やその呼び方は5000人ほどまでに増えたリスナーの方たちに若干定着してしまった感があり、今後どうすればいいのか悩んでいます。本当の自分の肩書きは何なのか。なんのさくら剛ですと名乗ればいいのか。真実の姿を語るなら、「美男子のさくら剛です」とすべきなのか。それとも「幸せ配達人のさくら剛です」なのか。

 しかもそうまでして放送内で取り上げたかつらボクサーとイカレスラーの話は、山本さんが両方とも存在を知らなかったため全く盛り上がらなかったという惨めな展開になりました。
 人が自分の肩書きまで賭けて繰り出したネタをあっさりスルーするとは、彼は血も涙もないおそろしいお人です。ヴァンパイアの気持ちがわからないのも当然です。でも仕方ありません。所詮人は他人の痛みなどどうしたってわかりはしないのだから。いいえ山本さんだけを責めるわけには参りません。彼も時代の被害者なのです。

 さて今後僕がどのような肩書きを名乗るか、まだまだしばらくは自己紹介も兼ねてひきこもり旅作家で行くとは思いますが、おいおい違うもの、自分に似合うものを考えなければいけません。やっぱり美男子が一番しっくり来るかな。しかしそのうち冒頭の挨拶が変わってくるやもしれません。新しい肩書きができましたらどうぞご期待ください。

 ところでさくら通信の放送は「毎週月曜に更新されている」ということを目標としていますので、日曜の夜にアップすることが多いのですがしかし月曜の朝更新になってしまうことも考えられますので、すなわち更新を楽しみにしていただくのはありがたいのですが日曜の夜にいまかいまかとパソコンの前に正座をして待ち構えるのはご遠慮いただきとうございます。なぜかというと、月曜の朝まで待たせてしまったりしたら申し訳ないからです。その日のスケジュールや体調にもよりますので、アップ時間などは全く不定です。
 一応ツイッターだけは毎週更新をしたらツイートするつもりなので、放送がアップされたら即時知りたいという方はツイッターでさくら剛をフォローしてみてください。

 ちなみにこのサイトの左側にこんなボタンがありますが……

 「あなたの評価はいくつ?」の文字の下に並んでいる数字、1から10までのどれかをクリックするとさくら通信を評価することができます。評価をすることができるんです。1から10までの数字のどれかをクリックすることで。
 僕が何を言いたいか、賢明なリスナーの方でしたらおわかりでしょう。うまく伝わってよかったです……。ああよかった……ホッとしました伝わって僕の気持ちが……。みなさんありがとう。心から感謝しています(涙)。

第3回放送 「ひきこもり」

第3回放送、テーマは「ひきこもり」です。
いよいよゴールデンウィークも終わり、日常生活がはじまろうとするこの日本社会、ひきこもりにはあまりそういうことは関係なかったりします。

今回注目すべきは、放送後半残り3分で山本さんがいきなり声変わりしているところです。
収録中には僕はまったく気付きませんでしたが、おそらく、いくつもネットラジオを掛け持ちしているネットラジオ界のスーパーメディアクリエイター山本さんですので、喋りすぎて喉をやられたのでしょう。 

選挙のこと補足

 このサイトは基本的にネットラジオのサイトですが、ちょくちょく文章でも更新していきます。
 なお、ラジオの記事に付属しているものも含め、文章はすべてさくら剛(ひきこもりの方、または人生が充実していない方)が書いています。なにか悪い知らせなどがあるときは、ひょっとしたら山本さんが記名でなんらかのお知らせを書くときが来るかもしれません。それはきっとさくら剛が刑務所に入ったとき……。

 ところでまだしばらくは、文章の記事ではサイトの概要や方針や協力者さまの情報や姉妹サイトのことについて説明文を書いていこうと考えていましたが、今回は急遽その前に補足したい内容があります。
 それは第1回放送で話しました、選挙とはなんら関係のない「学年委員長の件」です。

 いったい何事かといいますと、浜松市立積志中学の3年生当時、3年7組を担当していたメガネの村松先生という人がいました。
 彼は社会科の担当で、当時30代だったと思います。授業の進行スピードが圧倒的に遅い先生で、受験生から見たら必用の無い社会の雑知識および歴史の脇道エピソードにすぐに脱線して時間を使い、近隣の学習塾からも「そんな授業の進め方では受験に間に合わないからちゃんと教科書どおり教えろ!」と学校にクレームの電話が入るくらいでした。
 でも村松先生はそんなのお構いなしのマイペースな上に、授業中はなにかと生徒たちを対象にあだ名をつけたりおちょくったりねちねちとイビり、おまけに字がヘタなため、黒板に何を書いているかまったくわからない! 板書がし辛いったらありゃしない!! ということで、なかなかの勢いで生徒から嫌われていました。

 そこで、第1回放送の内容なのですが、僕が学年委員長(各クラスの学級委員の中のさらに委員長。ただし人望があるからではなく半分イジメで決められたのです:詳しくは放送参照)になった際に文化祭の出し物が決められず、ある日の休み時間に廊下で3年生の担任全員に囲まれた話をしました。
 怖い先生方が右から左から、時には詰問し、時には怒鳴って、今でも覚えているのは3組担当のN沢先生という凶暴なおじさん先生の「早く決めろよ早く!」という野太い怒鳴り声です。
 そんな中学校界でまれに見る残酷な責め苦にあえぎ、ぷるぷると震えていた僕が結局その危機をどのように脱したかというと、そのときに僕を救ってくれたのが誰あろう村松先生だったのです。

 村松先生も3年生の担任の1人であり、最初はしばらく僕が責められる姿、他の先生方が僕を責める姿をじっと眺めていました。
 しかしいよいよさくら剛@中学生が泣きそうになったそのとき、ここぞとばかり声を上げてくれたのが先生だったのです。
 村松先生は、他の教師たちに向かってこう言いました。

「悪いのはこいつだけじゃないだろ。決まらないのは学級委員全員の責任だ。責めるんなら、まず自分らのクラスの委員を責めるべきだ。こいつ1人に言うのはおかしい」

 そして、村松先生は僕に向かって、「もうおまえはいいから、教室に戻れ」と言ってくれたのです。他の先生がどう思っていたか知りませんが、その言葉を救いに僕はピューと教室に逃げ帰りました。
 おかげで僕はなんとか命までは取られずに済んだわけですが、村松先生が他の教師から反感を買うこともいとわずに自分を助けてくれたんだということは、中学生の愚かな僕には噛み締める余裕がそのときには無かったのです。ただ「ああ怖かった……」としか。

 しかし今になって思えば、あの中学校にいた先生の中で、本当の先生と呼べる人が村松先生だったのです(他の学年にもいたかもしれませんが)。
 僕のクラスの担任ですら他の先生方と一緒になって僕を囲んで責めていたあの状況で、僕は1組で村松先生は7組、当時クラスは全部で7組しかなかったわけですから、最も遠いクラスのいち生徒を同僚教師を敵に回すことすらいとわず助けてくれたというあの村松先生の姿、今思い出してみると、自分もあのときの村松先生に恥じることのない本物の教師にならなければなと、心から思います。

 と思ったら、そういえば僕の職業は教師ではありませんでした。
 でも今学校の先生をしている人たち、これから先生になろうという人たち、そんな人にはぜひとも村松先生のような先生になって欲しい。いや、先生とかそういうことじゃなく、職業以前に、自分も1人の大人として、社会人として、あのときの村松先生のような公明正大な人間にならなきゃいけないと思うわけです。
 あれから20年経つとわかります。
 字がヘタだったのは紛れもない事実ですが、塾からクレームを受けることになったスローペースで脱線しまくりの授業も、村松先生はしっかり歴史というものを記号ではなく人の営みとして生徒に教えようとしていたのです。
 先生の口癖は、「社会は暗記科目じゃねえんだ。歴史は数学と同じだ!」というものでした。今になってみればよくわかります。ただ人の名前を覚えりゃいいってもんじゃない。歴史だって原因があって法則があって答えが導き出されるのだ。歴史というのは人や乱や年号ではなく、流れなのだと。

 とはいえあれから20年経ってようやくそう思う僕なわけですが、中学生当時でもわかっている生徒はちゃんとわかっていて、一部のできる生徒たちからはなにげに村松先生は限定で人気があったような気がします。頭のいい人間というのはどの世代でもどこの学校にもどこのクラスにも一定の割合でいるもので、そういえばその少数の中では村松先生は人気の先生でした。違いのわかる男は中学生にもいたのです。違いのわかる女もいました。しかし学年委員長にまでなっておきながら僕にはまったく違いがわかりませんでした。バカでした。お恥ずかしい。今もバカですけど。

 とにかくそんな村松先生の話が、早いうちに書いておかなければと思った第1回放送の補足でした。